4-5 平和と少子化

人類は長い歴史の中で、戦争、飢餓、疫病、不安定な社会を経験してきた。

その中で、「平和で安全な社会」は、人類にとって大きな理想だった。

しかし現代では、比較的平和で豊かな先進国ほど、出生率が低下している。

これは一見すると逆説的に見える。

安全で豊かなら、子供も増えそうに思えるからである。

しかし実際には、多くの先進国で少子化が進行している。

本書の視点では、その背景には、「平和による欲望構造の変化」が存在している。

不安定な社会では、生存そのものが中心課題になる。

食べる。
生き延びる。
家族を維持する。

この段階では、「個人幸福」よりも「集団維持」が優先されやすい。

また、農業社会や共同体社会では、子供は労働力でもあった。

さらに、乳幼児死亡率が高い社会では、多く産むことが合理的だった。

つまり不安定社会では、「数」が重要になりやすい。

一方、平和で豊かな社会では、人間の欲望構造が変化する。

生存不安が減る。
教育が普及する。
自由が増える。
個人選択が重視される。

すると人間は、「どう生きるか」を考え始める。

つまり文明が高度化するほど、人間は「生存」より「自己実現」を重視するようになる。

ここで重要なのは、平和社会では「比較」が巨大化しやすいという点である。

生きるだけなら十分でも、

もっと豊かに。
もっと快適に。
もっと理想的に。

という欲望が増幅される。

すると子育ては、

時間、
金、
自由、
キャリア、

を大きく消費する存在として認識されやすくなる。

つまり平和社会では、「生きるために子供が必要」ではなく、「子供を持つかどうかを選択する社会」へ変化するのである。

さらに平和社会では、人間の理想水準そのものが上昇する。

理想的な結婚。
理想的な教育。
理想的な生活。

これらを求めるようになる。

その結果、

中途半端なら産まない。
十分な条件が整わないなら見送る。

という判断が増えやすくなる。

つまり平和とは、人間に「選択の余裕」を与える。

しかしその余裕が、逆に出生率を下げる方向へ働く場合があるのである。

また、平和社会では「個人」が強くなる。

共同体より個人。
家より自己実現。
義務より自由。

この価値観の変化も大きい。

現代では、

旅行したい。
趣味を楽しみたい。
自由に生きたい。

という欲望も正当化される。

これは文明として自然な流れである。

しかし同時に、子育てと競合する。

つまり平和社会では、「個人幸福ベクトル」が極めて強くなるのである。

一方で、不安定社会では、家族や共同体への依存が強くなる。

そのため、出生率が高くなりやすい場合がある。

もちろん、極端な戦争や飢餓では出生率は低下する。

しかし、「高度に平和で豊かな社会」ほど少子化する傾向は、世界的に広く見られる。

つまり少子化とは、単なる経済問題ではない。

それは、人類が平和と豊かさを獲得した結果として生じた、「欲望構造の変化」でもあるのである。

人間は、生存不安から解放されるほど、「どう生きるか」を重視するようになる。

そしてその自由が、出生率低下という形で現れているのである。

 の目次へ