4-6 不安定社会と出生率

一般に、不安定な社会ほど出生率が高く、豊かで安定した社会ほど出生率が低下する傾向がある。

これは直感に反するようにも見える。

危険で不安定な社会なら、子供を持つ余裕は少なそうに見えるからである。

しかし実際には、多くの発展途上国や伝統社会では、出生率が比較的高い。

本書の視点では、その背景には「生存戦略」と「欲望構造」の違いが存在している。

不安定社会では、まず「生き延びること」が最優先課題になる。

医療は不十分。
社会保障も弱い。
老後保障もない。

そのため家族や子供が、生活維持システムとして重要になる。

子供は、

労働力、
老後保障、
共同体維持、

として大きな意味を持つ。

つまり不安定社会では、「家族」が生存装置なのである。

さらに、不安定社会では乳幼児死亡率が高い場合も多い。

すると、「多く産む」ことが合理的になる。

これは人類史の長い期間において、自然な戦略だった。

また、不安定社会では、「個人」より「共同体」が強くなる傾向がある。

家族中心。
宗教共同体。
地域共同体。

これらへの依存が強くなる。

そのため、

結婚するのが当然、
子供を持つのが当然、

という社会圧力も強くなりやすい。

つまり、不安定社会では「集団維持ベクトル」が強化されるのである。

一方、先進国のような安定社会では、人間は「個人」として生きやすくなる。

一人でも生活できる。
社会保障がある。
老後もある程度保証される。

すると、「家族を持たなければ生きられない」という状況が弱くなる。

つまり文明が高度化するほど、「子供を持たない自由」が増える。

ここで重要なのは、不安定社会では「未来予測」が難しいという点である。

未来が不安定な社会では、人間は長期計画よりも「今」を重視しやすい。

その結果、若年結婚や早期出産が増えやすい場合がある。

逆に安定社会では、

教育、
キャリア、
経済設計、

など、長期的計画が重要視される。

そのため、結婚や出産が後ろへずれていく。

また、文明が高度化すると、「子供の質」への要求も上昇する。

十分な教育。
十分な環境。
十分な経済力。

これらを求めるため、「少なく産んで多く投資する」方向へ向かいやすい。

つまり不安定社会では「数」が重要になりやすく、安定社会では「質」が重要になりやすいのである。

さらに現代では、SNSや情報化によって、この差はさらに拡大している。

先進国では、

理想的家庭像、
理想的教育、
理想的生活、

が常時可視化される。

すると人間は、

中途半端には産めない。
十分な条件が必要だ。

と感じやすくなる。

つまり安定社会ほど、「子供を持つ条件」が高度化する。

その結果、出生率は低下しやすくなるのである。

もちろん、不安定社会でも、極端な戦争や飢餓では出生率は低下する。

しかし全体として見ると、

「適度に不安定で共同体依存が強い社会」

では出生率が高くなりやすい。

つまり出生率とは、単なる経済問題ではない。

それは、

生存戦略、
共同体構造、
価値観、
欲望構造、

の違いによって決まるのである。

そして現代文明は、人類を「個人化」し、「自由化」し、「比較社会化」した。

その結果、人間は「子供を持つ理由」そのものを再定義する時代へ入っているのである。

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