一般に、不安定な社会ほど出生率が高く、豊かで安定した社会ほど出生率が低下する傾向がある。
これは直感に反するようにも見える。
危険で不安定な社会なら、子供を持つ余裕は少なそうに見えるからである。
しかし実際には、多くの発展途上国や伝統社会では、出生率が比較的高い。
本書の視点では、その背景には「生存戦略」と「欲望構造」の違いが存在している。
不安定社会では、まず「生き延びること」が最優先課題になる。
医療は不十分。
社会保障も弱い。
老後保障もない。
そのため家族や子供が、生活維持システムとして重要になる。
子供は、
労働力、
老後保障、
共同体維持、
として大きな意味を持つ。
つまり不安定社会では、「家族」が生存装置なのである。
さらに、不安定社会では乳幼児死亡率が高い場合も多い。
すると、「多く産む」ことが合理的になる。
これは人類史の長い期間において、自然な戦略だった。
また、不安定社会では、「個人」より「共同体」が強くなる傾向がある。
家族中心。
宗教共同体。
地域共同体。
これらへの依存が強くなる。
そのため、
結婚するのが当然、
子供を持つのが当然、
という社会圧力も強くなりやすい。
つまり、不安定社会では「集団維持ベクトル」が強化されるのである。
一方、先進国のような安定社会では、人間は「個人」として生きやすくなる。
一人でも生活できる。
社会保障がある。
老後もある程度保証される。
すると、「家族を持たなければ生きられない」という状況が弱くなる。
つまり文明が高度化するほど、「子供を持たない自由」が増える。
ここで重要なのは、不安定社会では「未来予測」が難しいという点である。
未来が不安定な社会では、人間は長期計画よりも「今」を重視しやすい。
その結果、若年結婚や早期出産が増えやすい場合がある。
逆に安定社会では、
教育、
キャリア、
経済設計、
など、長期的計画が重要視される。
そのため、結婚や出産が後ろへずれていく。
また、文明が高度化すると、「子供の質」への要求も上昇する。
十分な教育。
十分な環境。
十分な経済力。
これらを求めるため、「少なく産んで多く投資する」方向へ向かいやすい。
つまり不安定社会では「数」が重要になりやすく、安定社会では「質」が重要になりやすいのである。
さらに現代では、SNSや情報化によって、この差はさらに拡大している。
先進国では、
理想的家庭像、
理想的教育、
理想的生活、
が常時可視化される。
すると人間は、
中途半端には産めない。
十分な条件が必要だ。
と感じやすくなる。
つまり安定社会ほど、「子供を持つ条件」が高度化する。
その結果、出生率は低下しやすくなるのである。
もちろん、不安定社会でも、極端な戦争や飢餓では出生率は低下する。
しかし全体として見ると、
「適度に不安定で共同体依存が強い社会」
では出生率が高くなりやすい。
つまり出生率とは、単なる経済問題ではない。
それは、
生存戦略、
共同体構造、
価値観、
欲望構造、
の違いによって決まるのである。
そして現代文明は、人類を「個人化」し、「自由化」し、「比較社会化」した。
その結果、人間は「子供を持つ理由」そのものを再定義する時代へ入っているのである。