現代社会では、「男女の役割」を巡る議論が大きく変化している。
かつて多くの社会では、
男性は外で働く。
女性は家庭を守る。
という役割分担が比較的明確だった。
もちろん、実際には例外も多く、地域差や時代差も存在した。
しかし全体として、人類社会には一定の性別役割分担が存在してきた。
その背景には、生物学的性差がある。
男性と女性は、完全に同じ身体構造ではない。
筋力差。
妊娠。
出産。
授乳。
これらは現実に存在する。
特に女性は、妊娠と出産という大きな生物学的負担を担う。
そのため人類史の大部分では、女性が乳幼児ケアを中心に担いやすかった。
一方男性は、狩猟、防衛、外部活動などへ向かいやすかった。
つまり役割分担には、生物学的背景が存在していたのである。
しかし文明が高度化すると、この構造が変化する。
機械化。
医療発達。
避妊技術。
教育普及。
これらによって、「身体差」の社会的影響が以前より小さくなった。
さらに現代では、知識労働が中心になった。
すると、男女の役割差は縮小しやすくなる。
その結果、「個人としてどう生きるか」が重視されるようになった。
これは文明の自然な流れでもある。
一方で、ここで新しい問題も生じる。
役割が曖昧化すると、人間は「何を期待すればよいのか」が不安定になる。
かつては、
男性は家族を養う。
女性は家庭を支える。
という社会的期待が比較的共有されていた。
しかし現代では、その共通モデルが弱くなった。
すると、
結婚観、
恋愛観、
家庭観、
が多様化する。
これは自由の増大でもある。
しかし同時に、「標準モデル喪失」でもある。
つまり現代社会では、人間は「正解のない関係構築」を求められるようになったのである。
さらに、本書で述べてきたように、比較社会化もここへ影響する。
男性は、
より成功しなければ、
より高収入でなければ、
と感じやすくなる。
女性も、
より理想的な相手、
より理想的な人生、
を求めやすくなる。
その結果、結婚へのハードルが上昇する。
ここで重要なのは、本書では「どちらが正しい」と単純に論じているわけではないという点である。
伝統的役割分担には、
安定性、
共同体維持、
出生率維持、
という側面があった。
一方で、
個人自由制限、
役割固定化、
能力発揮制限、
という側面も存在した。
逆に現代の自由社会では、
自己実現、
選択自由、
多様性、
が拡大した。
しかしその代償として、
結婚不安定化、
少子化、
比較競争激化、
も生じている。
つまり文明とは、「自由を増やすシステム」であると同時に、「安定構造を壊すシステム」でもあるのである。
また、本書の視点では、人間は「欠乏ベクトル」によって動く。
そのため男女関係も、
安心が欲しい。
認められたい。
支えられたい。
自由でいたい。
という複数の欲望ベクトルの衝突として理解できる。
現代社会では、それぞれのベクトルが以前より強く個人化している。
つまり、現代の男女関係とは、「自由化された欲望ベクトル同士の調整問題」なのである。
そして、その調整の難しさが、少子化や未婚化として現れているのである。