人類は長い歴史の中で、戦争、飢餓、疫病、不安定な社会を経験してきた。
その中で、「平和で安全な社会」は、人類にとって大きな理想だった。
しかし現代では、比較的平和で豊かな先進国ほど、出生率が低下している。
これは一見すると逆説的に見える。
安全で豊かなら、子供も増えそうに思えるからである。
しかし実際には、多くの先進国で少子化が進行している。
本書の視点では、その背景には、「平和による欲望構造の変化」が存在している。
不安定な社会では、生存そのものが中心課題になる。
食べる。
生き延びる。
家族を維持する。
この段階では、「個人幸福」よりも「集団維持」が優先されやすい。
また、農業社会や共同体社会では、子供は労働力でもあった。
さらに、乳幼児死亡率が高い社会では、多く産むことが合理的だった。
つまり不安定社会では、「数」が重要になりやすい。
一方、平和で豊かな社会では、人間の欲望構造が変化する。
生存不安が減る。
教育が普及する。
自由が増える。
個人選択が重視される。
すると人間は、「どう生きるか」を考え始める。
つまり文明が高度化するほど、人間は「生存」より「自己実現」を重視するようになる。
ここで重要なのは、平和社会では「比較」が巨大化しやすいという点である。
生きるだけなら十分でも、
もっと豊かに。
もっと快適に。
もっと理想的に。
という欲望が増幅される。
すると子育ては、
時間、
金、
自由、
キャリア、
を大きく消費する存在として認識されやすくなる。
つまり平和社会では、「生きるために子供が必要」ではなく、「子供を持つかどうかを選択する社会」へ変化するのである。
さらに平和社会では、人間の理想水準そのものが上昇する。
理想的な結婚。
理想的な教育。
理想的な生活。
これらを求めるようになる。
その結果、
中途半端なら産まない。
十分な条件が整わないなら見送る。
という判断が増えやすくなる。
つまり平和とは、人間に「選択の余裕」を与える。
しかしその余裕が、逆に出生率を下げる方向へ働く場合があるのである。
また、平和社会では「個人」が強くなる。
共同体より個人。
家より自己実現。
義務より自由。
この価値観の変化も大きい。
現代では、
旅行したい。
趣味を楽しみたい。
自由に生きたい。
という欲望も正当化される。
これは文明として自然な流れである。
しかし同時に、子育てと競合する。
つまり平和社会では、「個人幸福ベクトル」が極めて強くなるのである。
一方で、不安定社会では、家族や共同体への依存が強くなる。
そのため、出生率が高くなりやすい場合がある。
もちろん、極端な戦争や飢餓では出生率は低下する。
しかし、「高度に平和で豊かな社会」ほど少子化する傾向は、世界的に広く見られる。
つまり少子化とは、単なる経済問題ではない。
それは、人類が平和と豊かさを獲得した結果として生じた、「欲望構造の変化」でもあるのである。
人間は、生存不安から解放されるほど、「どう生きるか」を重視するようになる。
そしてその自由が、出生率低下という形で現れているのである。