一般に、人は「豊かになれば子供を育てやすくなる」と考えやすい。
しかし現実には、多くの先進国で出生率は低下している。
これは一見矛盾しているように見える。
医療は発達した。
食料も豊富である。
衛生環境も良い。
乳幼児死亡率も低い。
それにもかかわらず、子供は減っていく。
なぜこのようなことが起こるのだろうか。
本書の視点では、その背景には、「文明発展による欲望構造の変化」が存在している。
かつて子供は、生存戦略だった。
労働力になる。
老後保障になる。
家を維持する。
共同体を守る。
さらに、乳幼児死亡率が高かった時代には、「多く産むこと」自体が合理的だった。
つまり、子供を持つことには強い現実的意味があったのである。
しかし先進国では、この構造が大きく変化した。
子供は「労働力」ではなく、「高コスト存在」へ変化した。
教育費。
住宅費。
習い事。
大学進学。
時間的負担。
現代社会では、子供一人に非常に大きな資源が必要になる。
つまり文明が高度化するほど、「子供の質」への要求が上昇するのである。
ここで重要なのは、人間は比較社会の中で子育てを行っているという点である。
他人の家庭を見る。
教育環境を見る。
経済格差を見る。
すると、
中途半端には育てたくない。
十分な環境を与えたい。
という感覚が強くなる。
つまり現代人は、「子供を産むこと」よりも、「理想的に育てること」を重視しやすくなっている。
その結果、出生数は減少する。
さらに先進国では、個人自由の価値が極めて高くなる。
旅行したい。
趣味を楽しみたい。
キャリアを維持したい。
自由時間を持ちたい。
しかし子育ては、大量の時間とエネルギーを必要とする。
そのため、人間は無意識に、
自由を維持するか、
子育てを選ぶか、
という比較を行うようになる。
これは特に女性に強く影響しやすい。
現代女性は、教育、仕事、経済的自立を獲得した。
その結果、「結婚しなくても生きられる社会」が成立した。
すると、
理想的な相手がいないなら結婚しない。
無理に子供を持たなくてもよい。
という選択が現実化する。
つまり文明発展は、「子供を持たない自由」も生み出したのである。
また、先進国では「快適性」への基準も高い。
生活水準を下げたくない。
不自由になりたくない。
精神的余裕を失いたくない。
そのため、子供を持つことによる負担が強く意識されやすい。
つまり先進国では、「生存」よりも「生活の質」が優先されるようになる。
本書の視点では、これは欠乏構造の変化でもある。
貧しい社会では、「生きること」が中心課題だった。
しかし豊かな社会では、
自己実現、
承認、
快適性、
理想的生活、
への欲望が強くなる。
すると、子育ては「巨大なコスト」として認識されやすくなる。
さらに現代では、SNSによって理想家庭像が可視化される。
理想的な教育。
理想的な母親。
理想的な生活。
その結果、人間は「十分にできないなら持たない方がよい」と感じやすくなる。
つまり先進国ほど出生率が低下するのは、単なる経済問題ではない。
文明発展によって、
比較、
自由、
理想上昇、
自己実現欲求、
が極端に増大した結果なのである。
人類は豊かになった。
しかしその豊かさは、人間の欲望構造そのものを変化させた。
そしてその変化が、少子化という形で現れているのである。