比較社会の中で、人間は常に自分の位置を確認している。
自分は上なのか。
下なのか。
価値があるのか。
劣っているのか。
その中で生まれるのが、劣等感と優越感である。
劣等感とは、「自分は不足している」という感覚である。
能力が足りない。
魅力が足りない。
金が足りない。
地位が低い。
評価されない。
つまり劣等感とは、「比較によって生じた欠乏感」である。
本書の視点では、劣等感もまた、欠乏感度から生じる欲望ベクトルの一形態である。
他人との差を強く感じる。
すると不足を感じる。
その不足が、行動エネルギーを生む。
もっと努力したい。
もっと成功したい。
もっと認められたい。
つまり劣等感は、人間を成長へ向かわせる力にもなり得る。
実際、多くの成功者は、強い劣等感を持っていたと言われる。
見返したい。
負けたくない。
価値を証明したい。
その欲望が、巨大な努力エネルギーへ変換される。
文明の一部は、こうした劣等感エネルギーによって動いてきたとも言える。
しかし、劣等感は人間を破壊することもある。
比較が過剰になると、
自己否定、
嫉妬、
抑うつ、
攻撃性、
が強くなる。
特にSNS時代では、比較対象が極端に増えている。
すると人間は、「自分は常に誰かより劣っている」と感じやすくなる。
これは脳にとって非常に大きな負荷である。
一方、優越感とは、「自分は上である」という感覚である。
勝った。
認められた。
優れている。
価値がある。
この感覚は、脳の報酬系を強く刺激する。
つまり優越感とは、「比較によって得られる承認報酬」なのである。
ここで重要なのは、劣等感と優越感は対立概念ではなく、同じ比較システムから生じているという点である。
他者との位置関係を意識する。
その結果、
下に感じれば劣等感、
上に感じれば優越感、
が生まれる。
つまり両者は、「比較脳」の表裏なのである。
そして人間は、多くの場合、この二つの間を揺れ動いている。
ある場面では優越感を持つ。
別の場面では劣等感を持つ。
完全に優越だけの人間も、完全に劣等だけの人間も少ない。
ここで現代社会の特徴は、「比較軸」が異常に増えたことである。
昔は、共同体の中で限られた比較しか存在しなかった。
しかし現代では、
収入、
学歴、
容姿、
フォロワー数、
恋愛、
知性、
ライフスタイル、
など、無数の軸で比較が行われる。
その結果、人間は常にどこかで劣等感を感じやすくなっている。
しかし逆に言えば、この比較システムが文明を加速してきた。
より良くなりたい。
もっと上へ行きたい。
負けたくない。
その欲望が、人類を前進させてきたのである。
つまり劣等感と優越感とは、人間の比較システムから生まれる根源的感情であり、文明そのものを動かす巨大なエネルギー源でもあるのである。