人類は、かつてないほど豊かになった。
食料は豊富にある。
医療は発達した。
冷暖房がある。
インターネットがある。
安全性も高い。
歴史上の王族より快適な生活を送っている人も少なくない。
それにもかかわらず、多くの現代人は満足していない。
不安がある。
焦りがある。
劣等感がある。
「まだ足りない」と感じ続ける。
なぜこのようなことが起こるのだろうか。
本書の視点では、その理由は、人間の脳が「満足するため」ではなく、「動き続けるため」に進化したからである。
人間の脳は、現状維持を目的としていない。
不足を探す。
差を探す。
より良いものを探す。
そのように作られている。
進化の過程では、その方が生存に有利だった。
より多くの食料を得る。
より安全な場所を探す。
より強い配偶者を得る。
つまり、「もっと上」を探し続ける個体の方が生き残りやすかったのである。
その結果、人間の脳には「慣れ」が組み込まれた。
どれほど大きな成功を得ても、やがて脳はそれを普通として処理し始める。
高収入。
地位。
名声。
美しい家。
恋愛。
最初は強い快感を与える。
しかし時間が経つと、それは日常になる。
すると脳は、新しい不足を探し始める。
もっと欲しい。
もっと認められたい。
もっと上へ行きたい。
つまり、人間は「不足生成システム」を内部に持っているのである。
さらに現代社会では、この構造が極端に増幅されている。
SNSによって、世界中の成功者が可視化される。
すると人間は、自分の生活を絶対値ではなく相対値で評価するようになる。
十分豊かでも、さらに豊かな人を見ると不足を感じる。
十分魅力的でも、さらに美しい人を見ると劣等感を持つ。
つまり現代人は、「現実の不足」よりも、「比較による不足」に苦しみやすい。
ここで重要なのは、現代文明は「欠乏を解消するシステム」であると同時に、「新しい欠乏を作るシステム」でもあるという点である。
広告は、新しい欲望を作る。
SNSは、新しい比較を作る。
市場は、新しい不足感を作る。
その結果、人間は永遠に次を求め続ける。
そしてもう一つ重要なのが、「選択肢の過剰」である。
現代人は、無数の可能性を見せられる。
もっと良い職業。
もっと良い恋人。
もっと良い人生。
もっと良い自分。
すると、「今の選択で本当に良いのか」という不安が生じる。
これは豊かさによって生じる不満でもある。
選択肢が少ない社会では、人間は比較範囲も狭く、諦めも成立しやすかった。
しかし現代では、常に「もっと上」が可視化される。
その結果、人間は、現在を楽しむよりも、「まだ足りない」に注意を向けやすくなる。
つまり現代人が満足しにくいのは、単に欲深くなったからではない。
文明そのものが、「欠乏感度を増幅し続ける構造」へ進化しているのである。
そして、その欠乏こそが、文明をさらに前進させる原動力になっている。人間は満足できない。
しかし、だからこそ文明は止まらないのである。