1-6 欠乏感度という概念

本書では、「欠乏感度」という概念を、人間理解の中心に置いている。

人間は、同じ世界を見ていても、同じようには反応しない。

ある人は、わずかな評価不足にも強い苦痛を感じる。
ある人は、性的刺激に非常に敏感である。
ある人は、金銭的損失に激しく反応する。
ある人は、美や芸術に強く感動する。
逆に、ほとんど反応しない人もいる。

この違いは何なのだろうか。

私は、それを「欠乏感度」の違いとして考えている。

つまり、人間は、「何をどれだけ不足として感じるか」が違うのである。

同じ状況でも、

「まだ足りない」

と強く感じる人もいれば、

「これで十分だ」

と感じる人もいる。

そして、この差が、欲望の強さや行動エネルギーの差を生み出す。

欠乏感度が高い人は、世界から多くの不足を検出する。

もっと知りたい。
もっと認められたい。
もっと美しくなりたい。
もっと強くなりたい。
もっと愛されたい。

つまり、脳が「差」を強く認識するのである。

その結果、欲望ベクトルが強く発生する。

逆に、欠乏感度が低い人は、刺激への反応が弱い。

現状への満足感は高いかもしれない。
しかし、強い行動エネルギーは生じにくい。

ここで重要なのは、本書では「欠乏感度」を善悪で扱っていないという点である。

欠乏感度が高い人は、多くの場合、

努力する。
執着する。
探索する。
競争する。

そのため、大きな成果を生むことがある。

科学者、芸術家、経営者、発明家などには、極めて高い欠乏感度を持つ人が少なくない。

しかし同時に、

苦しみやすい。
不満が多い。
比較に苦しむ。
依存しやすい。

という側面も持つ。

つまり、文明を強く動かす人間ほど、内面的には不安定である場合も多いのである。

逆に、欠乏感度が低い人は、精神的安定を得やすい。

小さな幸福で満足できる。
比較に振り回されにくい。
過剰な競争に巻き込まれにくい。

しかし、巨大な文明エネルギーを生み出す方向には進みにくい。

人類文明とは、高い欠乏感度を持つ人間たちによって加速されてきた側面がある。

科学技術も、経済も、芸術も、「まだ足りない」という感覚によって前進してきた。

完全に満足した人間だけで構成された社会では、文明発展は非常に遅くなるかもしれない。

つまり、文明とは、集団化された欠乏感度の運動でもある。

現代社会では、この欠乏感度がさらに増幅されている。

SNSによって、他人の成功が常時可視化される。
広告によって、新しい不足が作られる。
比較によって、現状への満足が壊される。

すると、人間の脳は、以前よりも多くの欠乏を感じ始める。

もっと上へ。
もっと豊かに。
もっと美しく。
もっと評価されたい。

現代文明は、巨大な欠乏増幅システムでもある。

しかし同時に、その欠乏こそが、人類を動かしている。

人間とは、欠乏を感じる存在である。

そして、その欠乏感度によって、人生の方向そのものが決定されていくのである。

 の目次へ