本書では、人間を「欲望ベクトルによって動く存在」として考えてきた。
欠乏を感じる。
欲望が生まれる。
その方向へ行動する。
この単純化によって、人間行動の多くを理解できると考えている。
そして、この視点は個人だけでなく、社会全体にも適用できる。
本書の視点では、社会とは「欲望ベクトルの巨大集合体」である。
社会には、無数の人間が存在する。
金を求める人。
愛情を求める人。
承認を求める人。
権力を求める人。
知識を求める人。
それぞれが異なる方向へ動いている。
つまり社会とは、無数の欲望ベクトルが交差し、衝突し、協力しながら形成される動的構造なのである。
経済もそうである。
人々が欲しいものを求める。
不足を埋めようとする。
その交換によって市場が成立する。
つまり経済とは、「欲望ベクトル交換システム」である。
政治も同じである。
安全が欲しい。
豊かになりたい。
自由が欲しい。
支配されたくない。
これらの集団的欲望が、政治構造を形成する。
つまり国家とは、「集団化された欲望ベクトル」の調整装置なのである。
さらに、本書で述べてきたように、人間は比較する。
すると欲望が増幅される。
もっと上へ。
もっと豊かに。
もっと認められたい。
この比較構造が、文明を加速させる。
つまり文明とは、「欲望増幅システム」でもある。
ここで重要なのは、社会には「完全な静止状態」が存在しにくいという点である。
なぜなら人間の欲望が止まらないからである。
技術が進歩する。
すると新しい不足が生まれる。
経済が成長する。
すると新しい比較が生まれる。
つまり人類社会は、「欠乏→欲望→行動→新しい欠乏」という循環を続けている。
これは個人でも同じである。
目標を達成する。
しかし脳は慣れる。
すると新しい不足を探し始める。
つまり社会全体もまた、「終わらない欲望運動」をしているのである。
また、社会には「欲望の方向差」も存在する。
安定を求める人。
自由を求める人。
平等を求める人。
競争を求める人。
これらのベクトルは、しばしば衝突する。
つまり政治対立や思想対立も、「欲望ベクトルの方向差」として理解できる。
完全な自由を求めれば、格差が拡大しやすい。
完全な平等を求めれば、競争エネルギーが低下しやすい。
つまり社会とは、「異なる欲望ベクトル間の均衡点」を探し続けるシステムでもある。
さらに現代では、SNSやAIによって、欲望ベクトル同士の接触速度が極端に上昇している。
比較が増える。
承認競争が増える。
情報刺激が増える。
その結果、人類社会全体が加速し続けている。
つまり現代文明とは、「超高速化した欲望ネットワーク社会」なのである。
本書の視点では、社会とは単なる制度ではない。
それは、
欠乏、
欲望、
比較、
承認、
恐怖、
によって動く、巨大なベクトル構造なのである。
そして人類史とは、その無数のベクトルが衝突し、協力し、形を変え続ける歴史なのである。