人間社会では、なぜ対立がなくならないのだろうか。
なぜ人は争うのか。
なぜ意見が分かれるのか。
なぜ国家同士も衝突するのか。
本書の視点では、その理由は単純である。
人間は、それぞれ異なる欲望ベクトルを持っているからである。
人は皆、同じ方向を向いているわけではない。
自由を求める人もいる。
安定を求める人もいる。
平等を重視する人もいる。
競争を望む人もいる。
つまり、人間社会とは、方向の異なるベクトルが同時存在する空間なのである。
そのため、衝突は本質的に避けられない。
例えば経済でも、
もっと自由競争を、
もっと再分配を、
という二つの方向が存在する。
前者は「成長ベクトル」を重視する。
後者は「安定ベクトル」を重視する。
どちらにも合理性がある。
つまり対立とは、「善悪」だけではなく、「欲望方向の違い」でもあるのである。
恋愛でも同じである。
自由でいたい。
しかし愛されたい。
独占したい。
しかし束縛されたくない。
人間は、内部にも矛盾したベクトルを持っている。
つまり人間は、「自分自身の中でも衝突している存在」なのである。
国家も同じである。
安全保障。
経済利益。
領土。
資源。
国家はそれぞれ異なる欲望ベクトルを持つ。
すると、その方向が衝突する。
つまり戦争とは、「巨大化したベクトル衝突」である。
ここで重要なのは、ほとんどの人間は「自分が正しい」と感じているという点である。
なぜなら、人間は自分の欲望ベクトルを「当然」と感じやすいからである。
自由を重視する人には、自由制限が異常に見える。
平等を重視する人には、格差容認が残酷に見える。
つまり対立とは、「異なる価値ベクトルの自然衝突」とも言える。
本書では、世界を単純化して理解しようとしている。
その視点では、
宗教対立、
政治対立、
国家対立、
家庭内対立、
ですら、「欲望方向の違い」として統一的に見ることができる。
また、本書で繰り返し述べてきたように、人間は比較する。
比較は欲望を増幅する。
すると、
もっと欲しい。
負けたくない。
支配されたくない。
という感情が強くなる。
つまり比較社会では、ベクトル衝突も激化しやすい。
さらに現代では、SNSによって衝突が可視化・増幅されやすくなっている。
怒り。
承認。
敵対。
集団化。
これらが高速で拡散する。
つまり現代社会では、「感情ベクトル衝突」が以前より巨大化しているのである。
一方で、人類文明は、「ベクトル衝突制御システム」でもある。
法律。
民主主義。
外交。
市場。
道徳。
これらは、「完全な衝突」を避けるために作られてきた。
つまり文明とは、「欲望を消す仕組み」ではない。
それは、「異なる欲望ベクトル同士を、共存可能な範囲へ調整する仕組み」なのである。
しかし完全な一致は存在しない。
なぜなら人間は、それぞれ異なる欠乏感度を持つからである。
つまり人類社会とは、本質的に、
異なる欲望ベクトルが、
永遠に衝突し続ける世界
なのである。
そして文明とは、その衝突を完全に止めることではなく、「壊滅しない範囲で均衡させ続ける試み」なのである。