人類文明は、なぜここまで発展したのだろうか。
なぜ人間は、道具を作り、機械を発明し、都市を築き、宇宙へまで進出しようとしているのか。
本書の視点では、その根底には「欠乏」が存在している。
人間は、不足を感じる。
寒い。
重い。
遠い。
遅い。
不便だ。
苦しい。
その不満が、「もっと便利にしたい」という欲望ベクトルを生む。
つまり科学技術とは、欠乏を減らそうとする人類の試みなのである。
火の使用もそうだった。
寒さを減らしたい。
肉を消化しやすくしたい。
夜を明るくしたい。
その欲望が、火を文明へ変えた。
農業も同じである。
食料不足を減らしたい。
安定して生きたい。
その欠乏が、定住文明を生み出した。
さらに産業革命も、
もっと速く。
もっと大量に。
もっと効率よく。
という欲望から発展した。
つまり文明史とは、「不足との戦い」の歴史でもある。
本書で述べてきたように、人間は欠乏によって動く。
そして文明とは、その欠乏を集団的に解決しようとするシステムなのである。
ここで重要なのは、科学技術は「満足」からは生まれにくいという点である。
現状で十分満足しているなら、人間は大きな努力をしない。
不便を感じる。
不満を感じる。
限界を感じる。
だからこそ、新しい技術が求められる。
つまり欠乏とは、文明の燃料でもある。
また、人間の知識欲そのものも、「未知への欠乏」として理解できる。
なぜ空は青いのか。
宇宙はどうなっているのか。
生命とは何か。
こうした疑問も、「分からない」という不足感から生じている。
つまり科学とは、「未知を埋めたい」という欲望ベクトルなのである。
ここで現代社会の特徴は、技術が新しい欠乏を次々に生み出すという点である。
スマートフォンがない時代、人間はスマートフォン不足を感じていなかった。
しかし一度便利さを知ると、それが「普通」になる。
すると、
もっと速く。
もっと便利に。
もっと高性能に。
という新しい欲望が生まれる。
つまり科学技術は、欠乏を解消する一方で、新しい欠乏も作り出しているのである。
これはインターネットやAIでも同じである。
情報不足を減らした。
作業効率を上げた。
しかし同時に、
もっと速く。
もっと便利に。
もっと賢く。
という新たな期待が生まれる。
人間の脳は、慣れる。
そのため、技術進歩そのものが「新しい普通」を作り出す。
すると、以前は十分だったものが、不十分に感じられるようになる。
つまり文明とは、「欠乏を解決しながら、新しい欠乏を作り続けるシステム」でもある。
また、科学技術競争には、承認欲求や性的選択も関与している。
発明したい。
認められたい。
歴史に名を残したい。
価値ある存在になりたい。
つまり科学技術は、純粋理性だけで動いているわけではない。
そこには、
欠乏、
承認欲求、
競争、
好奇心、
など、人間の欲望全体が関与している。
本書の視点では、文明とは「欲望ベクトルの巨大集合体」である。
科学技術もまた、その一部なのである。
人間は不足を感じる。
だから発明する。
発明すると新しい不足が生まれる。
その不足が、さらに文明を進める。
つまり文明は、「終わらない欠乏」の上に成立しているのである。