人類は長い間、「不足をなくすこと」を目指して文明を発展させてきた。
飢餓を減らす。
病気を減らす。
苦痛を減らす。
不便を減らす。
つまり文明とは、「欠乏削減システム」として進化してきた。
そして現代では、AIや自動化によって、人類はかつてない「完全満足社会」へ近づきつつあるようにも見える。
欲しい物がすぐ手に入る。
娯楽も無限にある。
AIが会話してくれる。
労働すら減るかもしれない。
一見すると、理想郷に近づいているように見える。
しかしここで、本書が提示したいのが「完全満足社会の paradox」である。
人間は、完全に満たされると、逆に動機を失い始める可能性がある。
本書で繰り返し述べてきたように、人間は欠乏によって動く。
不足がある。
だから行動する。
つまり欲望とは、行動エネルギーなのである。
しかし、もしすべてが満たされたらどうなるのか。
競争しなくてもよい。
努力しなくてもよい。
恋愛すらAIで代替できる。
承認も簡単に得られる。
すると、人間は「世界へ向かう必要」を失い始める可能性がある。
つまり文明が極限まで進歩すると、「文明を動かしていたエネルギーそのもの」が弱くなるという逆説が生まれる。
これが「完全満足社会の paradox」である。
さらに重要なのは、人間の脳は「完全満足」に適応していない可能性があるという点である。
人類の脳は、
不足、
危険、
競争、
の中で進化してきた。
つまり人間は、「問題解決する存在」として進化している。
そのため、問題が消えると、逆に空虚感が生まれる可能性がある。
実際、現代でも、
豊かになったのに不安、
便利になったのに虚無感、
が増えている。
これは単なる精神論ではない。
人間の脳が、「不足処理システム」として作られているからかもしれない。
つまり人類は、
不足が多すぎても苦しみ、
不足が完全消失しても苦しむ
可能性があるのである。
ここで現代文明の特徴は、「人工的欲望生成」が始まっている点である。
SNS。
ゲーム。
AI。
仮想空間。
これらは、新しい不足感を次々に作り出す。
もっと強く。
もっと評価を。
もっとレベルを。
つまり文明は、「満足」を目指しながら、同時に「新しい欠乏」を作り続けている。
なぜなら、人間は完全静止に耐えにくいからである。
また、本書で述べてきたように、人間は比較する。
そのため、物質的に完全満足しても、
もっと魅力的な人、
もっと成功した人、
が見える限り、比較不足は消えない。
つまり「完全満足社会」は、理論上存在しても、人間の脳構造上、実際には成立しにくい可能性がある。
そして、もし本当に比較も欲望も消えたなら、人類は極めて静かな存在になるかもしれない。
しかしその時、
科学、
芸術、
恋愛、
文明、
は、今の形を保てるのだろうか。
本書の視点では、人類文明とは「不足エネルギー」によって動いている。
つまり完全満足社会とは、
人類の理想であると同時に、
人類を停止させる可能性を持つ
という paradox を内包しているのである。
人間は苦しみから逃れたい。
しかし人間は、その苦しみを燃料として文明を築いてきた。
この矛盾こそが、人類文明の根本構造なのかもしれない。