終-3 ベクトルを持つということ

本書では、人間を「欲望ベクトルによって動く存在」として考えてきた。

欠乏を感じる。
欲望が生まれる。
その方向へ動く。

この単純な構造によって、人間社会や文明を統一的に理解しようとしてきた。

では、「ベクトルを持つ」とは、結局どういうことなのだろうか。

本書の視点では、それは「世界へ向かう方向性を持つこと」である。

人間は、完全静止した存在ではない。

何かへ向かう。

知識へ向かう人。
恋愛へ向かう人。
芸術へ向かう人。
権力へ向かう人。
安定へ向かう人。

つまり人生とは、「どの方向へエネルギーを流すか」の問題でもある。

ここで重要なのは、ベクトルには「強さ」と「方向」があるという点である。

弱いベクトルもある。
強烈なベクトルもある。

そして方向も異なる。

その違いが、人間の個性や人生を形成していく。

本書では、能力すら「ベクトル強度」として捉えてきた。

強く反応する。
長く興味を持つ。
執着する。

その結果、知識も技術も形成される。

つまり能力とは、「方向を持ったエネルギーの持続」なのである。

また、人間は複数のベクトルを同時に持っている。

愛されたい。
しかし自由でいたい。

認められたい。
しかし競争には疲れる。

安定したい。
しかし刺激も欲しい。

つまり人間とは、「内部に矛盾したベクトルを持つ存在」でもある。

本書で繰り返し述べてきたように、社会とは無数のベクトル集合体である。

そのため、

協調も生まれる。
衝突も生まれる。

文明とは、その巨大なベクトル群を「壊滅しない範囲」で動かし続けるシステムなのである。

ここで現代社会の問題は、「他人のベクトル」に飲み込まれやすいことにある。

SNS。
承認競争。
比較社会。

すると人間は、

本当に自分が向かいたい方向なのか、
他人に評価されたいだけなのか、

分からなくなりやすい。

つまり現代では、「ベクトルの他人化」が起こりやすいのである。

しかし本来、人間は「自分の方向性」を持たなければ、長期的には動けなくなる。

何をしたいのか。
どこへ向かいたいのか。

それが曖昧になると、人間は停止へ近づく。

本書で述べてきたように、欲望を完全に失うと、人は世界への接続を弱め始める。

つまり「ベクトルを持つ」ということは、「生きている」ということそのものでもある。

もちろん、ベクトルは苦しみも生む。

比較。
不足。
執着。

しかし逆に言えば、それがあるから、

学問、
芸術、
恋愛、
文明、

が存在する。

つまり人類とは、「方向を持つ存在」なのである。

また、ベクトルには優劣だけでは測れない側面もある。

強いベクトルは、大きな成果を生むこともある。

しかし同時に、不安定さも生む。

逆に、穏やかなベクトルは、安定を生むこともある。

つまり重要なのは、「強さ」だけではない。

どの方向へ向かうか。
どう他者と調和するか。

そこに、人間社会の本質がある。

本書では、世界を単純化して理解しようとしてきた。

その中で最後に残るのは、極めて単純な構造である。

人間は不足を感じる。
だから方向が生まれる。
方向があるから動く。

つまり「ベクトルを持つ」ということは、

欠乏を抱えながら、
なお世界へ向かい続けること

なのである。

そして、それこそが、人間という存在の本質なのかもしれない。

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