本書では、人間を「欲望ベクトルによって動く存在」として考えてきた。
欠乏を感じる。
欲望が生まれる。
その方向へ動く。
この単純な構造によって、人間社会や文明を統一的に理解しようとしてきた。
では、「ベクトルを持つ」とは、結局どういうことなのだろうか。
本書の視点では、それは「世界へ向かう方向性を持つこと」である。
人間は、完全静止した存在ではない。
何かへ向かう。
知識へ向かう人。
恋愛へ向かう人。
芸術へ向かう人。
権力へ向かう人。
安定へ向かう人。
つまり人生とは、「どの方向へエネルギーを流すか」の問題でもある。
ここで重要なのは、ベクトルには「強さ」と「方向」があるという点である。
弱いベクトルもある。
強烈なベクトルもある。
そして方向も異なる。
その違いが、人間の個性や人生を形成していく。
本書では、能力すら「ベクトル強度」として捉えてきた。
強く反応する。
長く興味を持つ。
執着する。
その結果、知識も技術も形成される。
つまり能力とは、「方向を持ったエネルギーの持続」なのである。
また、人間は複数のベクトルを同時に持っている。
愛されたい。
しかし自由でいたい。
認められたい。
しかし競争には疲れる。
安定したい。
しかし刺激も欲しい。
つまり人間とは、「内部に矛盾したベクトルを持つ存在」でもある。
本書で繰り返し述べてきたように、社会とは無数のベクトル集合体である。
そのため、
協調も生まれる。
衝突も生まれる。
文明とは、その巨大なベクトル群を「壊滅しない範囲」で動かし続けるシステムなのである。
ここで現代社会の問題は、「他人のベクトル」に飲み込まれやすいことにある。
SNS。
承認競争。
比較社会。
すると人間は、
本当に自分が向かいたい方向なのか、
他人に評価されたいだけなのか、
分からなくなりやすい。
つまり現代では、「ベクトルの他人化」が起こりやすいのである。
しかし本来、人間は「自分の方向性」を持たなければ、長期的には動けなくなる。
何をしたいのか。
どこへ向かいたいのか。
それが曖昧になると、人間は停止へ近づく。
本書で述べてきたように、欲望を完全に失うと、人は世界への接続を弱め始める。
つまり「ベクトルを持つ」ということは、「生きている」ということそのものでもある。
もちろん、ベクトルは苦しみも生む。
比較。
不足。
執着。
しかし逆に言えば、それがあるから、
学問、
芸術、
恋愛、
文明、
が存在する。
つまり人類とは、「方向を持つ存在」なのである。
また、ベクトルには優劣だけでは測れない側面もある。
強いベクトルは、大きな成果を生むこともある。
しかし同時に、不安定さも生む。
逆に、穏やかなベクトルは、安定を生むこともある。
つまり重要なのは、「強さ」だけではない。
どの方向へ向かうか。
どう他者と調和するか。
そこに、人間社会の本質がある。
本書では、世界を単純化して理解しようとしてきた。
その中で最後に残るのは、極めて単純な構造である。
人間は不足を感じる。
だから方向が生まれる。
方向があるから動く。
つまり「ベクトルを持つ」ということは、
欠乏を抱えながら、
なお世界へ向かい続けること
なのである。
そして、それこそが、人間という存在の本質なのかもしれない。