人類文明は、なぜ止まらないのだろうか。
技術は進歩し続ける。
経済は拡大し続ける。
競争は終わらない。
本書で繰り返し述べてきたように、その根底には「欠乏」が存在している。
足りない。
もっと欲しい。
もっと便利に。
もっと安全に。
その欲望が、人間を動かし、文明を前進させてきた。
では、もし人間が完全に満たされたらどうなるのだろうか。
文明は止まるのだろうか。
本書の視点では、ある意味では「止まりやすくなる」。
なぜなら、欲望は行動エネルギーだからである。
不足がある。
だから動く。
つまり欲望が弱くなれば、文明を前へ押す力も弱くなる。
実際、個人でも同じである。
何にも興味がない。
何も求めない。
何も不足を感じない。
この状態では、人間は大きく動かない。
つまり文明とは、「集団化された不足エネルギー」によって動いているのである。
しかしここで重要なのは、人間は「完全満足状態」を維持しにくいという点である。
本書で述べてきたように、脳は慣れる。
便利さにも慣れる。
豊かさにも慣れる。
安全にも慣れる。
すると脳は、新しい不足を探し始める。
つまり人間は、「満たされると新しい欠乏を作る存在」なのである。
スマートフォン以前、人類はスマートフォン不足を感じていなかった。
しかし今では、
もっと速く。
もっと便利に。
もっと高性能に。
という新しい欲望が生まれている。
つまり文明は、「欠乏解消」と同時に、「新しい欠乏生成」を繰り返している。
そのため、人類文明には終点が存在しにくい。
また、本書で述べてきたように、人間は比較する。
すると、たとえ物質的に豊かでも、
もっと上がいる。
もっと成功した人がいる。
もっと魅力的な人がいる。
という不足感が生まれる。
つまり現代文明では、「絶対的不足」より、「相対的不足」が文明を動かしている。
さらに、AI時代では、この構造がさらに加速する可能性がある。
より高性能。
より効率的。
より知的。
比較空間が巨大化し、人間はさらに不足を感じやすくなる。
つまり文明は、豊かになるほど止まるどころか、「新しい欲望階層」を作り出していくのである。
ここで重要なのは、本書では欲望を単純に悪としていないという点である。
欲望は、
科学、
芸術、
経済、
文明、
を生み出してきた。
しかし同時に、
争い、
比較疲労、
承認依存、
も生み出す。
つまり文明とは、「欲望の恩恵」と「欲望の苦痛」を同時に拡大するシステムでもある。
もし本当に人類が完全満足へ到達したなら、
競争も、
発明も、
拡大も、
弱まる可能性がある。
しかし本書の視点では、人間の脳構造上、それは極めて起こりにくい。
なぜなら人間とは、本質的に、
不足を感じ、
比較し、
新しい欲望を作り出す存在
だからである。
つまり文明とは、「永遠に更新される欠乏」の上に成立している。
そしてその欠乏こそが、人類を止まらせない原動力なのである。