「能力」とは何だろうか。
一般には、
知能指数、
記憶力、
計算力、
運動能力、
などが能力として語られる。
しかし本書では、能力をもっと単純な構造として考えたい。
なぜなら、人間社会では「能力」という言葉が複雑化しすぎているからである。
本書の視点では、能力とは、
「どれだけ強く反応し、どれだけ持続して動けるか」
として理解できる。
つまり能力とは、「欲望ベクトルの強さ」と深く関係している。
人間は、興味を持たなければ動かない。
何にも関心がない。
何にも反応しない。
何も追求しない。
この状態では、高い潜在知能があっても、現実の成果にはつながりにくい。
逆に、強い興味を持つ人は、自然に対象へ向かい続ける。
知りたい。
理解したい。
上達したい。
勝ちたい。
そのベクトルが、長期的努力を生む。
つまり能力とは、「脳の反応性」と「持続性」の問題でもある。
本書で述べてきたように、人間には「欠乏感度」の違いがある。
ある人は、わずかな知的不足にも強く反応する。
もっと知りたい。
もっと理解したい。
すると自然に学習を続ける。
ある人は、承認不足に強く反応する。
認められたい。
価値を示したい。
すると競争へ向かう。
ある人は、美への感受性が高い。
もっと美しく。
もっと完成度を高く。
すると芸術へ向かう。
つまり、人間の能力とは、「どの方向へどれだけ強いベクトルを持つか」の違いとして理解できる。
ここで重要なのは、本書では能力を「善悪」で論じていないという点である。
欲望が強い人は、巨大な成果を生むこともある。
しかし同時に、
執着、
依存、
不安定性、
も強くなりやすい。
逆に、欲望が弱い人は、精神的安定を持ちやすい場合もある。
つまり能力とは、単純な優劣だけでは測れない。
本書のモデルでは、
欠乏感度 → 欲望ベクトル → 行動持続 → 能力形成
という流れを重視している。
つまり「能力が高いから動く」のではなく、「強く反応し続けるから能力が形成される」という視点である。
実際、歴史上の多くの天才は、異常な執着を持っていた。
普通の人が飽きる対象に対して、何年も、何十年も関心を持ち続けた。
つまり彼らは、「興味持続能力」が極端に高かったとも言える。
また現代社会では、「刺激の多さ」が集中を壊しやすくしている。
SNS。
動画。
短時間刺激。
脳が次々に新しい刺激へ引っ張られる。
その結果、一つの対象へ深く没入しにくくなる。
つまり現代では、「深いベクトル維持」そのものが難しくなっているのである。
本書の視点では、人間とは「何に強く反応するか」によって方向づけられる存在である。
そして能力とは、その反応ベクトルが長期持続した結果として形成される。
つまり能力とは、単なる知能ではない。
それは、
欠乏感度、
欲望、
興味、
執着、
持続性、
が作り出す、人間の長期的ベクトル運動なのである。