人類は、なぜ戦争を繰り返してきたのだろうか。
平和を望むと言いながら、なぜ国家同士は争うのか。
本書の視点では、戦争とは「特殊な異常現象」ではない。
それは、人間の欲望構造が巨大化した結果として理解できる。
個人同士でも、人間は争う。
金。
地位。
恋愛。
承認。
支配。
欲望ベクトルが衝突すると、対立が生まれる。
国家も本質的には同じである。
国家とは、無数の人間の欲望ベクトルが集団化された存在だからである。
つまり戦争とは、「巨大化した集団欲望同士の衝突」として見ることができる。
領土が欲しい。
資源が欲しい。
安全保障を確保したい。
影響力を広げたい。
支配されたくない。
これらはすべて、「不足」や「不安」から生じる。
本書で繰り返し述べてきたように、人間は欠乏によって動く。
国家もまた、「集団化された欠乏」によって動くのである。
ここで重要なのは、戦争は必ずしも「悪人だけ」で起こるわけではないという点である。
多くの場合、双方が、
自分たちを守るため、
安全を維持するため、
未来を確保するため、
と考えている。
つまり戦争とは、「欲望」だけでなく、「恐怖」からも生じる。
人間は不安定を恐れる。
そのため、
先に攻撃されるかもしれない。
奪われるかもしれない。
支配されるかもしれない。
という恐怖が、攻撃ベクトルを生み出す。
これは個人間の争いでも同じである。
つまり戦争とは、人間社会に存在する欲望・恐怖構造が、国家規模へ拡大したものなのである。
さらに、承認欲求や優越欲求も戦争へ関与する。
国家は、
強国でありたい。
負けたくない。
屈辱を受けたくない。
という集団的自尊心を持つ。
これは、個人の優越感や劣等感の集団版とも言える。
つまり国家にも、「承認ベクトル」が存在するのである。
また、本書で述べてきたように、人間は比較する。
国家も比較する。
軍事力。
経済力。
技術力。
影響力。
すると競争が始まる。
そして競争が極端化すると、戦争へ向かう場合がある。
つまり戦争とは、「比較と欠乏の極限状態」とも言える。
一方で、人類文明は「平和」を目指してきた。
国際法。
外交。
経済依存。
情報共有。
これらは、「欲望衝突を制御する仕組み」である。
しかし問題は、人間の欲望そのものは消えていないという点である。
安全が欲しい。
豊かになりたい。
支配されたくない。
認められたい。
これらは国家レベルでも存在し続ける。
つまり文明とは、「欲望を消すシステム」ではなく、「欲望衝突を管理するシステム」なのである。
さらに現代では、SNSや情報戦によって、「認識空間」そのものが戦場化している。
承認。
世論。
ナショナリズム。
恐怖。
これらがリアルタイムで増幅される。
つまり現代戦争は、単なる軍事衝突ではなく、「集団心理ベクトルの衝突」へ変化しつつある。
本書の視点では、戦争とは人類から切り離された異常現象ではない。
それは、
欠乏、
恐怖、
承認欲求、
比較、
支配欲、
という、人間の根源的ベクトルが巨大化した結果なのである。
つまり戦争を理解するとは、人間そのものを理解することでもあるのである。