5-5 戦争は欲望の拡大版である

人類は、なぜ戦争を繰り返してきたのだろうか。

平和を望むと言いながら、なぜ国家同士は争うのか。

本書の視点では、戦争とは「特殊な異常現象」ではない。

それは、人間の欲望構造が巨大化した結果として理解できる。

個人同士でも、人間は争う。

金。
地位。
恋愛。
承認。
支配。

欲望ベクトルが衝突すると、対立が生まれる。

国家も本質的には同じである。

国家とは、無数の人間の欲望ベクトルが集団化された存在だからである。

つまり戦争とは、「巨大化した集団欲望同士の衝突」として見ることができる。

領土が欲しい。
資源が欲しい。
安全保障を確保したい。
影響力を広げたい。
支配されたくない。

これらはすべて、「不足」や「不安」から生じる。

本書で繰り返し述べてきたように、人間は欠乏によって動く。

国家もまた、「集団化された欠乏」によって動くのである。

ここで重要なのは、戦争は必ずしも「悪人だけ」で起こるわけではないという点である。

多くの場合、双方が、

自分たちを守るため、
安全を維持するため、
未来を確保するため、

と考えている。

つまり戦争とは、「欲望」だけでなく、「恐怖」からも生じる。

人間は不安定を恐れる。

そのため、

先に攻撃されるかもしれない。
奪われるかもしれない。
支配されるかもしれない。

という恐怖が、攻撃ベクトルを生み出す。

これは個人間の争いでも同じである。

つまり戦争とは、人間社会に存在する欲望・恐怖構造が、国家規模へ拡大したものなのである。

さらに、承認欲求や優越欲求も戦争へ関与する。

国家は、

強国でありたい。
負けたくない。
屈辱を受けたくない。

という集団的自尊心を持つ。

これは、個人の優越感や劣等感の集団版とも言える。

つまり国家にも、「承認ベクトル」が存在するのである。

また、本書で述べてきたように、人間は比較する。

国家も比較する。

軍事力。
経済力。
技術力。
影響力。

すると競争が始まる。

そして競争が極端化すると、戦争へ向かう場合がある。

つまり戦争とは、「比較と欠乏の極限状態」とも言える。

一方で、人類文明は「平和」を目指してきた。

国際法。
外交。
経済依存。
情報共有。

これらは、「欲望衝突を制御する仕組み」である。

しかし問題は、人間の欲望そのものは消えていないという点である。

安全が欲しい。
豊かになりたい。
支配されたくない。
認められたい。

これらは国家レベルでも存在し続ける。

つまり文明とは、「欲望を消すシステム」ではなく、「欲望衝突を管理するシステム」なのである。

さらに現代では、SNSや情報戦によって、「認識空間」そのものが戦場化している。

承認。
世論。
ナショナリズム。
恐怖。

これらがリアルタイムで増幅される。

つまり現代戦争は、単なる軍事衝突ではなく、「集団心理ベクトルの衝突」へ変化しつつある。

本書の視点では、戦争とは人類から切り離された異常現象ではない。

それは、

欠乏、
恐怖、
承認欲求、
比較、
支配欲、

という、人間の根源的ベクトルが巨大化した結果なのである。

つまり戦争を理解するとは、人間そのものを理解することでもあるのである。

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