人類は、なぜ宗教を作ったのだろうか。
歴史を見れば、宗教はほぼすべての文明に存在している。
神。
天国。
地獄。
戒律。
祈り。
形は違っても、人類は常に「超越的存在」を求めてきた。
本書の視点では、宗教の大きな役割の一つは、「欲望制御」にある。
本書で繰り返し述べてきたように、人間は欠乏によって動く。
もっと欲しい。
もっと認められたい。
もっと支配したい。
もっと快感を得たい。
この欲望ベクトルは、人間社会を発展させる。
しかし同時に、放置すれば社会を不安定化させる。
暴力。
略奪。
嫉妬。
性的競争。
権力闘争。
つまり文明には、「欲望を完全には消さず、しかし暴走もしないよう制御する仕組み」が必要だったのである。
その役割の一部を担ったのが宗教だった。
宗教は、
欲望を抑えよ。
他人を傷つけるな。
奪うな。
節制せよ。
と教える。
つまり宗教とは、「集団維持のための欲望制御システム」として機能してきたのである。
特に重要なのは、性欲制御である。
性欲は極めて強力なベクトルである。
だからこそ、多くの宗教は、
婚姻制度、
姦通禁止、
性的規範、
を重視してきた。
なぜなら性的競争が無制限化すると、共同体が不安定化しやすいからである。
また、宗教は「比較欲望」の制御にも関与してきた。
人間は比較する。
もっと金を。
もっと地位を。
もっと承認を。
しかし比較欲望には終点がない。
そこで宗教は、
足るを知れ。
欲望を減らせ。
精神的価値を重視せよ。
と教える。
つまり宗教とは、「無限化する欲望ベクトル」に対するブレーキでもあった。
ここで重要なのは、人間の脳は不安定を嫌うという点である。
死が怖い。
未来が不安だ。
孤独が怖い。
宗教は、この不安にも意味を与える。
死後世界。
神の意志。
救済。
これらは、「理解不能な不安」を整理する心理的システムとしても機能してきた。
つまり宗教とは、
欲望制御、
不安制御、
共同体維持、
を同時に行う文明装置だったのである。
さらに宗教には、「承認欲求の転換」という役割もある。
本来、人間は他者承認を求める。
しかし宗教では、
神に認められたい。
徳を積みたい。
精神的価値を高めたい。
という方向へ欲望ベクトルを転換させる。
つまり宗教とは、「欲望を消す」のではなく、「方向を変えるシステム」として理解できる。
一方で、宗教そのものも人間社会である以上、欲望から完全には自由ではない。
権力。
支配。
集団競争。
これらが宗教組織内部で発生することもある。
つまり宗教もまた、人間の欲望構造の上に成立している。
さらに現代社会では、宗教の影響力が低下した地域も多い。
しかし欲望そのものは消えていない。
その結果、現代では、
SNS承認、
消費主義、
自己実現主義、
が、新しい「欲望管理システム」になりつつある。
つまり人類は、宗教的価値観が弱くなっても、別の形で欲望を調整し続けているのである。
本書の視点では、宗教とは単なる迷信ではない。
それは、
暴走しやすい人間の欲望を、
共同体維持可能な範囲へ制御するための文明装置
として理解できるのである。
そして文明とは、欲望を完全に消すことなく、欲望と秩序の均衡を模索し続ける歴史でもあるのである。