人間は、なぜ行動するのだろうか。
なぜ働くのか。
なぜ学ぶのか。
なぜ恋愛するのか。
なぜ争うのか。
なぜ文明を発展させ続けるのか。
これらを複雑に説明することは可能である。経済学、心理学、脳科学、社会学、進化生物学―それぞれの学問には、それぞれの説明が存在する。
しかし、本書ではもっと単純な構造から考えてみたい。
人間は、「欠乏」によって動く。
何かが足りない。
何かを得たい。
何かになりたい。
何かを失いたくない。
その不足感こそが、人間を動かす根本的な力である。
空腹であれば、人は食べ物を探す。
寒ければ、暖かい場所を求める。
孤独であれば、人とのつながりを求める。
貧しければ、金を求める。
認められなければ、承認を求める。
つまり、行動とは、欠乏を埋めようとする運動なのである。
人間の脳は、常に「不足」を検出している。
そして、その不足を埋める方向へ意識と行動を向ける。
私は、この方向性を「ベクトル」と呼ぶ。
欲望とは、欠乏によって生まれるベクトルである。
食欲は、栄養欠乏へのベクトルである。
性欲は、生殖や快感へのベクトルである。
承認欲求は、社会的価値を求めるベクトルである。
知識欲は、未知を埋めようとするベクトルである。
人間は、無数のベクトルを内部に持ちながら生きている。
そして、そのベクトル同士が衝突し、協調し、優先順位を争いながら、人間の行動が決定されていく。
ここで重要なのは、「欠乏」は必ずしも現実の不足とは限らないという点である。
現代社会では、SNSやメディアによって、人は絶えず他人と比較する。
すると、本来不足していない人間であっても、不足を感じるようになる。
もっと金が欲しい。
もっと美しくなりたい。
もっと評価されたい。
もっと上へ行きたい。
比較は、新しい欠乏を生み出す。
そして欠乏は、新しい欲望ベクトルを生み出す。
文明社会とは、巨大な欠乏増幅装置でもある。
しかし逆に言えば、人間は欠乏がなければ動かない。
完全に満たされた状態では、人は行動エネルギーを失う。
空腹がなければ食べない。
孤独がなければ人を求めない。
不満がなければ発明しない。
欲望がなければ文明は発展しない。
つまり、人類の歴史そのものが、欠乏によって駆動されてきたのである。
科学技術も、経済も、芸術も、恋愛も、戦争も、その根底には「足りない」という感覚が存在している。
人間は、欠乏を感じる存在である。
そして、その欠乏によって動き続ける存在でもある。