一般に、「知能」とは何だろうか。
多くの場合、
IQ、
記憶力、
論理力、
計算能力、
などが知能として扱われる。
もちろん、それらは重要である。
しかし本書では、知能をもう少し広い視点で考えたい。
本書の視点では、「何に強く反応するか」という欠乏感度が、知能形成に深く関係している。
なぜなら、人間は強く不足を感じる対象について、長時間考え続けるからである。
もっと知りたい。
理解したい。
説明したい。
解決したい。
このベクトルが、思考を持続させる。
つまり知能とは、「脳の処理能力」だけではなく、「どれだけ深く対象へ向かい続けるか」にも依存しているのである。
実際、同じ知識に接しても、人によって反応は異なる。
強烈に興味を持つ人もいる。
すぐ飽きる人もいる。
この差は、「欠乏感度」の違いとして理解できる。
ある人は、「分からないこと」に強い不快感を持つ。
すると脳は、その不足を埋めようとして思考を続ける。
なぜなのか。
どういう構造なのか。
本質は何か。
この反復思考が、知識体系を形成していく。
つまり知能とは、「情報処理速度」だけではなく、「不足への執着力」によっても形成されるのである。
本書で繰り返し述べてきたように、人間は欠乏によって動く。
知識欲もまた、「未知への欠乏感」から生まれる。
分からない。
知らない。
理解できない。
この状態に耐えにくい人ほど、学習へ向かいやすい。
つまり高い知的活動の背景には、「知的欠乏感度」が存在する場合が多い。
ここで重要なのは、知能には方向性があるという点である。
数学へ強く反応する人。
音楽へ強く反応する人。
人間心理へ強く反応する人。
言語へ強く反応する人。
つまり人間は、「どの不足を強く感じるか」が異なる。
その結果、能力の方向も変化する。
本書では、これを「ベクトル化された知能」として考えている。
つまり知能とは、単なる総合点ではない。
それは、
どの方向へ、
どれだけ強く、
どれだけ長く、
思考を持続できるかの問題なのである。
また、現代社会では、「浅い知能刺激」が増えている。
短時間動画。
SNS。
大量情報。
脳は次々と刺激を受ける。
しかしその結果、一つの問題へ長期間没入する能力が低下しやすくなる。
つまり現代では、「深い知的ベクトル維持」が難しくなっているのである。
一方で、AI時代になると、「単純知識量」の価値は相対的に低下する可能性がある。
AIが即座に情報を出せるからである。
すると重要になるのは、
何に疑問を持つか。
何を不足と感じるか。
どこへ興味ベクトルを向けるか。
になる。
つまり未来では、「欠乏感度そのもの」が、以前より重要な能力になる可能性がある。
本書の視点では、知能とは単なる計算能力ではない。
それは、
不足を感じる能力、
疑問を持つ能力、
興味を持続する能力、
によって形成される、長期的思考ベクトルなのである。