第7章 理性は本能にどう抗うか

1. 倫理の役割は「否定」ではなく「制御」

これまで述べてきたように、容姿を重視する傾向は、人間の本能に深く根ざしている。だが人間には、もう一つの重要な能力がある―理性である。 理性は、本能に対抗する力ではあるが、本能を否定するためにあるのではない。むしろその本能を理解した上で、社会の中でどう振る舞うか、他者とどう関わるかを調整するために存在する

たとえば、怒りという感情は自然だが、それを暴力に変えてしまえば社会が崩壊する。 同様に、容姿に惹かれること自体は自然なことだが、それをもって他者の価値を判断し、差別的な行動をとることは制御されなければならない。

倫理とは、「してはいけないこと」を並べた規則ではない。それは、本能と社会のあいだに生じる緊張に対して、自ら方向を選ぶための思考の枠組みである。


2. 社会的成熟とは何か

社会の成熟とは、単に技術や経済が発展することではない。本能や感情の動きがあっても、それに支配されずに振る舞うことができる人間が増えること、それを支える文化や制度が築かれることが、真の成熟である。

「美人を優遇したくなる」「容姿で判断してしまう」―このような衝動を抑えるのは難しい。しかしそれを自覚し、意識し、それでも公平であろうと努力する姿勢こそが、大人の分別であり、社会人としての品格である。

社会が成熟するとは、「容姿を見ない」人が増えることではない。容姿に反応してしまう自分を知った上で、どのように判断し、どのように公平さを保つかを選び取れる人が増えることである。


3. 容姿に惹かれながらも、それを越えて向き合う力

本能は消えない。理性にもまた限界がある。 それでも人間は、矛盾した二つの力のあいだに立ち、意志によって選ぶことができる。その選択の積み重ねが、人間の人格を形づくり、社会の倫理的な水準を決定する。

容姿に惹かれるのは仕方がないこと。だが、その衝動のままに行動するのか、それともそれを越えてその人の中身に目を向けるのか。 その一瞬の判断の中に、人間としての成熟や尊厳が試されている

私たちは、容姿に無関心になることを目指す必要はない。 むしろ、容姿に惹かれながらも、なおそれをひとつの要素として位置づけ、他の要素と並列に扱えるだけの視野と深さを持つこと。

それが、理性によって本能を超えてゆく人間の可能性である。


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