本書では、欲望を「ベクトル」として考える。
ベクトルとは、本来、方向と大きさを持つ概念である。
人間の欲望も同じである。
どこへ向かいたいのか。
どれほど強く求めているのか。
欲望には、この二つが存在する。
つまり、人間は単に「欲望を持つ存在」ではない。
「方向性を持った欲望」によって動く存在なのである。
金を求める人もいる。
名誉を求める人もいる。
愛情を求める人もいる。
知識を求める人もいる。
権力を求める人もいる。
それぞれ、欲望の方向が異なる。
さらに、その強さも異なる。
同じ金銭欲でも、生活費程度を求める人もいれば、巨大な富を求め続ける人もいる。
同じ承認欲求でも、身近な人から認められれば満足する人もいれば、世界中から注目されたい人もいる。
つまり、人間とは、「さまざまな方向へ向かう複数のベクトル」を内部に持つ存在なのである。
そして、そのベクトル同士は常に競合している。
例えば、
仕事をしたい。
しかし休みたい。
成功したい。
しかし失敗は怖い。
結婚したい。
しかし自由も失いたくない。
人間は、このような矛盾したベクトルを同時に持ちながら生きている。
その結果として、「迷い」が生まれる。
また、人間社会とは、個人同士のベクトルが相互作用する場でもある。
協力とは、ベクトルの方向が一致することである。
対立とは、ベクトルの方向が衝突することである。
恋愛ですら、互いの欲望ベクトルの一致によって成立する。
逆に、方向性がずれると関係は壊れる。
国家も同じである。
国家は、一つの巨大な意思を持つ存在ではない。
無数の人間の欲望ベクトルが集まり、妥協し、衝突しながら形成される流動的な構造体である。
戦争もまた、巨大化したベクトル同士の衝突として見ることができる。
さらに現代社会では、SNSや情報化によって、人間のベクトルは絶えず刺激されている。
他人の成功を見る。
他人の幸福を見る。
他人の富を見る。
すると、自分の内部に新しいベクトルが生まれる。
もっと欲しい。
もっと認められたい。
もっと上へ行きたい。
比較は、新しい欲望ベクトルを作り出す。
現代文明とは、巨大なベクトル増幅装置でもある。
しかし同時に、人間はベクトルを失うと急速に衰える。
何もしたくない。
何にも興味がない。
誰にも会いたくない。
この状態では、行動エネルギーが消失する。
老化や抑うつでは、この「ベクトルの減衰」がしばしば見られる。
逆に、高齢でも、
知りたい。
恋愛したい。
認められたい。
美しくありたい。
というベクトルを持つ人は、生命力が維持されやすい。
つまり、生きるとは、ベクトルを持ち続けることでもある。
人間は、欲望ベクトルによって動く存在なのである。