欲望とは何だろうか。
一般には、「欲望」という言葉には、どこか否定的な響きがある。
欲深い。
我欲が強い。
煩悩に支配されている。
そのような意味で使われることが多い。
しかし本書では、欲望をもっと広く、人間を動かす根本エネルギーとして考える。
人間は、欲望なしには生きられない。
食べたい。
眠りたい。
安全でいたい。
愛されたい。
認められたい。
知りたい。
勝ちたい。
美しくなりたい。
これらはすべて欲望である。
そして、人間の行動の大部分は、欲望によって駆動されている。
重要なのは、欲望は突然現れるものではないという点である。
欲望の根底には、必ず「欠乏」が存在する。
空腹があるから食欲が生まれる。
孤独があるから愛情欲求が生まれる。
劣等感があるから承認欲求が生まれる。
未知があるから知識欲が生まれる。
つまり、欲望とは、「不足を埋めたい」という脳の方向性なのである。
私はこれを、「欠乏から生じるベクトル」として考えている。
人間の脳は、不足を感じると、その対象へ意識を向ける。
金が足りない人は、金に注意が向く。
愛情に飢えた人は、人間関係に敏感になる。
性的欲求が強い人は、性的刺激への反応が強くなる。
欲望とは、注意と行動の方向を決定する力なのである。
ここで重要なのは、欲望には強弱があるという点である。
同じ環境にいても、強く反応する人と、ほとんど反応しない人がいる。
これは、「欠乏感度」の違いである。
ある人は、わずかな評価不足でも強い劣等感を感じる。
ある人は、強い性的刺激に対して非常に敏感である。
ある人は、知的刺激に対して強烈な興味を示す。
つまり、人間の個性とは、「どの方向の欠乏を強く感じるか」の違いでもある。
欲望は、人を苦しめる。
満たされないからである。
しかし同時に、欲望は人間を進化させる。
欲望があるから、人は努力する。
欲望があるから、人は発明する。
欲望があるから、人は他者と関わる。
欲望があるから、文明は発展する。
完全に欲望を失った世界では、争いは減るかもしれない。
しかし同時に、芸術も、科学も、恋愛も、文明の進歩も停止する可能性がある。
欲望とは、人類を不安定にする力である。
しかし同時に、人類を前進させる力でもある。
つまり、人間文明とは、欲望の歴史そのものなのである。