人間の欲望は、絶対的なものではない。
多くの場合、それは「比較」によって生まれ、増幅される。
人は、自分だけを見て生きているわけではない。
他人を見る。
他人の生活を見る。
他人の成功を見る。
他人の恋愛を見る。
他人の金や地位を見る。
その時、人間の脳は「差」を認識する。
すると、新しい欠乏が生まれる。
もっと欲しい。
自分もああなりたい。
負けたくない。
認められたい。
つまり比較とは、欠乏感度を増幅する装置なのである。
本書の視点では、人間の欲望は「欠乏」から生まれる。
しかし、その欠乏の多くは、現実の生存不足ではない。
比較によって作られた不足感である。
例えば、十分な生活をしていても、より豊かな人間を見ると不足を感じる。
十分に魅力的であっても、さらに美しい人を見ると劣等感を持つ。
つまり、人間の脳は「絶対値」ではなく、「相対差」に強く反応する。
これが、人類社会を強く競争化してきた。
より高く。
より強く。
より豊かに。
より美しく。
より有名に。
比較が存在する限り、人間は完全には満足しにくい。
なぜなら、常に「上」が存在するからである。
ここで重要なのは、比較そのものは悪ではないという点である。
比較は、人間に行動エネルギーを与える。
競争を生む。
努力を生む。
文明発展を加速する。
もし人間が他者を全く意識しない生物だったなら、現在の文明はここまで発展しなかったかもしれない。
学問競争。
経済競争。
芸術競争。
恋愛競争。
これらの多くは、「比較」によって駆動されている。
しかし同時に、比較は人間を不安定にする。
比較が過剰になると、
劣等感、
嫉妬、
不安、
自己否定、
が強くなる。
そして現代社会では、この比較システムが極端に巨大化している。
SNSによって、世界中の成功者が常時可視化される。
美しい人。
金持ち。
有名人。
幸せそうな家族。
成功した若者。
人間の脳は、それらを無意識に比較対象として処理してしまう。
すると、本来不足していない人間でも、「自分はまだ足りない」と感じ始める。
つまり現代文明とは、巨大な比較増幅装置でもある。
特に承認欲求や性欲は、比較によって大きく刺激される。
他人より魅力的でありたい。
他人より成功したい。
他人より選ばれたい。
その欲望が、人間社会を高速で回転させている。
しかし、人間の脳には終点が存在しにくい。
比較には限界がないからである。
だからこそ、人類は豊かになっても満足しにくい。
むしろ、比較対象が増えるほど、不足感は増幅される。
つまり比較とは、人間文明を発展させる巨大な推進力であると同時に、人間を永遠に満たされなくする装置でもあるのである。