3-2 比較が欲望を増幅する

人間の欲望は、絶対的なものではない。

多くの場合、それは「比較」によって生まれ、増幅される。

人は、自分だけを見て生きているわけではない。

他人を見る。
他人の生活を見る。
他人の成功を見る。
他人の恋愛を見る。
他人の金や地位を見る。

その時、人間の脳は「差」を認識する。

すると、新しい欠乏が生まれる。

もっと欲しい。
自分もああなりたい。
負けたくない。
認められたい。

つまり比較とは、欠乏感度を増幅する装置なのである。

本書の視点では、人間の欲望は「欠乏」から生まれる。

しかし、その欠乏の多くは、現実の生存不足ではない。

比較によって作られた不足感である。

例えば、十分な生活をしていても、より豊かな人間を見ると不足を感じる。

十分に魅力的であっても、さらに美しい人を見ると劣等感を持つ。

つまり、人間の脳は「絶対値」ではなく、「相対差」に強く反応する。

これが、人類社会を強く競争化してきた。

より高く。
より強く。
より豊かに。
より美しく。
より有名に。

比較が存在する限り、人間は完全には満足しにくい。

なぜなら、常に「上」が存在するからである。

ここで重要なのは、比較そのものは悪ではないという点である。

比較は、人間に行動エネルギーを与える。

競争を生む。
努力を生む。
文明発展を加速する。

もし人間が他者を全く意識しない生物だったなら、現在の文明はここまで発展しなかったかもしれない。

学問競争。
経済競争。
芸術競争。
恋愛競争。

これらの多くは、「比較」によって駆動されている。

しかし同時に、比較は人間を不安定にする。

比較が過剰になると、

劣等感、
嫉妬、
不安、
自己否定、

が強くなる。

そして現代社会では、この比較システムが極端に巨大化している。

SNSによって、世界中の成功者が常時可視化される。

美しい人。
金持ち。
有名人。
幸せそうな家族。
成功した若者。

人間の脳は、それらを無意識に比較対象として処理してしまう。

すると、本来不足していない人間でも、「自分はまだ足りない」と感じ始める。

つまり現代文明とは、巨大な比較増幅装置でもある。

特に承認欲求や性欲は、比較によって大きく刺激される。

他人より魅力的でありたい。
他人より成功したい。
他人より選ばれたい。

その欲望が、人間社会を高速で回転させている。

しかし、人間の脳には終点が存在しにくい。

比較には限界がないからである。

だからこそ、人類は豊かになっても満足しにくい。

むしろ、比較対象が増えるほど、不足感は増幅される。

つまり比較とは、人間文明を発展させる巨大な推進力であると同時に、人間を永遠に満たされなくする装置でもあるのである。

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